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2011~2016-東日本大震災後の復興、でもまだ爪跡はいたるところに残っています!②

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年間でラーメンを300食以上は食べているnihoniumです。

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この画像は、2011.3.11の地震のあった年の8月に家族で仙台港近辺に行った時のもの。
繁栄していた蒲生の住宅街は、なにもなくなっていました。
この車両は、仙台港に倉庫として置かれていたもの、流されて閖上の田んぼに無残にもありました。

5年がたち、気持ちの整理もついたからと、東日本大震災についての2回目です。

7月末の夏休み、自宅から高速で仙台に向かい市内で墓参りを済ませてから、蒲生~仙台港に向かいました。

蒲生地区はバスの終点でもあり、結構な住宅が密集していたはずですが、運河近隣の家はすべて流されてしまっていました。



これは、私の撮った動画ではありませんが、まさにこんな感じでした。

仙台港の南側には「蒲生干潟」があり、私は小学生のころから干潟観察会に出かけていました。また、菖蒲田ヶ浜や野蒜、荒浜などの海岸は海水浴場としてにぎわっていたところ。それが一瞬に津波に飲み込まれてしまいました。

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蒲生には、もともと日本一低い山(国土地理院登録)があり、大阪の山が登録され二番目になってしまいましたが、津波に削られ再度日本一になってしまいました。

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仙台港のコンビニに寄りましたが、隣の空き地などには、津波で流された車が山積みされていたりしています。

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こちらは、2011年7月の多賀城、津波の被害がひどく、このような感じになっています。

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ところどころは修復されてきてはいますが、それは仙台市内の中心部がメインで、
何年たっても、蒲生地区などはさほど変化がないように思えました。

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二度と起きてほしくない、そう思いつつも私自身人生で3回も大地震を体験しています。
津波の映像は、脳裏から外すことはできません。

テレビで昔行っていた懐かしい場所を襲う津波を見て唖然!



2015年はフェリーで、苫小牧~仙台まで航路を使いましたが、市内には寄らずに常磐道を通って帰宅したので、2016年に2年ぶりに行く仙台港はどうなっているのでしょうか?

この続きは8/25~26が行く日なので、その後に続きをアップする予定です。

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